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アラサー社会人のイギリス大学院留学

エディンバラ大学の修士課程で四苦八苦しながら勉強しています。

努力の方向性を決めるための努力

雑記

 ちょっと抽象的な話。努力をすることはもちろん目標を達成するために必要不可欠だけど、一方で「努力の方向性を決めるための努力」は忘れられがちになっている気がする。

 

 IELTSの勉強にたとえると、目標は「IELTSで○点を取ること」。そのために「英語の多くはラテン語から派生しているので、今後1年間は毎日10時間ラテン語を勉強します」というのはだいぶ遠回りだ。努力の「量」としてはすさまじい量なのだろうけど、いかんせん方向性が的外れだ。本当に彼/彼女が1日10時間勉強できるなら、その時間でIELTSの頻出単語を覚えたり、問題集を解いたりする方がずっと効率的だ。

 

 僕は、この「努力の方向性」を決めることが苦手だ。多くの人も同様だと思う。学校に通っている間は、学校(先生)が方向性を完全に決めてきた。厳格に設定された学習指導要領に沿って勉強すれば、とりあえず基礎的な学問知識は身につくし、大学受験というその後の人生を大きく左右する試験の対策にもなる。その結果として「与えられた方向に努力する」ことは得意だけど「努力の方向性を考える」ことは苦手になる。

 

 まだ勉強の話だと「試験の点数」という目に見える指標があるからわかりやすいけど、これが「仕事」あるいは「人生」といった見えにくい目標になると、とたんに「努力の方向性」をおろそかにした精神論が幅を利かせ始める。

 

 象徴的だな、と思ったのがこの記事。

 

 

 リンク先では、「一日一日を懸命に生きれば、未来が開かれてくる」という言葉が稲盛和夫の著書から引用されている。これなんかはまさに「与えられた方向への努力」そのもので、「どこに向かって努力すればいいか」を考えることはすっぽり抜け落ちている。もちろん天才的な経営者である稲盛和夫のことだから「努力の方向性」なんて息をするようにたやすく感じ取れたのかもしれない。あるいは「努力の方向性は頑張って経営者が示すから、従業員はその方向性を信じてくれ」というメッセージだったのかもしれない(ちょっと好意的な解釈に過ぎるかも、、、)。

 

 いずれにせよ、「どんな方向性でもいいからひたすら努力しよう」という考えは(昔はどうかわからないけど、少なくとも現代では)よほど幸運にめぐまれない限り危険だと思う。

 

 留学準備も同じで、ともすれば「ラテン語でも何でも1日10時間やればよい」という思考になりがちだ(もちろんラテン語を勉強するのが悪いという意味ではありません。ただIELTSの点数を目標とするなら遠回りだよね、という趣旨です)。近頃は留学対策スクールが隆盛を極めていて、勉強法もスケジュール管理もやろうと思えばほとんど委託できてしまうけど、「努力の方向性」を考え続けることは怠ってはいけないと思う。ほとんど自戒ですが。