アラサー社会人のイギリス大学院留学

エディンバラ大学の修士課程で四苦八苦しながら勉強しています。

日本人ひとりでよかったこと(2)

 前に書いた記事からさらにいくつか思いついたので追記。

 日本人がひとりだけだと「日本人」キャラが立ちやすい。何でもっと早く思い出さなかったのか不思議なくらいにこの恩恵を受けている。たぶん名前も覚えてもらいやすいんじゃないかと思う(しかし、やはり外国人の名前を見分けるのは難しいようで、一度だけ僕の同級生が間違えて何故か僕の友人にFacebookのフレンド申請を送っていたことがあった)。

 他にも、日本関連のトピックを振ってもらいやすい。たとえば僕のコースには日本のアニメやゲームを好きな学生が何名かいて、彼らとはよくアニメの話をする(『君の名は』とかジブリ作品とか、ちょっと前のテレビアニメとか)。また、人から「日本人のこの人が好きなんだけど、知ってる?」と言ってもらえたりする。たとえば今までだと安藤忠雄とか坂本龍一とか。

 また、授業で日本に関連する話が出たときは「日本ではこうらしいけど、ed180は知ってる?」とか声をかけてもらえたりする(ぶっちゃけ急に話を振られると困る場合もあるけど、最近は何とか「そうですね、日本では……」と即席で適当に話ができるようになった)。

 僕がいるのはデジタルデザインに関する専攻なので、SF映画がよく話題に上ることが多い。よく引用される日本の作品は『攻殻機動隊』『七人の侍』(SFじゃないけど)など。ちなみに海外作品でよく例に出されるのは『ブレードランナー』『1984』『スター・トレック』、最近の作品では『マトリックス』『アイ・ロボット』『エクス・マキナ』など。

ヨーロッパ大陸での英語

 ヨーロッパに旅行して何ともありがたいのは、とにかく英語が通じること! もちろんマナーとして現地の言葉(「こんにちは」とか「ありがとう」とか「日本から来ました」とか)を少しは覚えるけど、ちょっと込み入ったことを聞きたいときには英語で意思疎通できると非常にありがたい。

 それに、言語的に近いとはいえ第二言語なので、心なしかゆっくりと話してくれるように思う。強い訛りもないので、きわめて聞き取りやすい(率直に言ってエディンバラ訛りのある人よりずっと話しやすい)。エディンバラからヨーロッパに来ると、英語が聞き取れることにまず驚く。

 ただ一度だけ、ウィーンのスーパーマーケットで店員のお兄ちゃんに英語で話しかけたらまったく理解されず別の店員を紹介されたことがある。こういう判断をするのはあまりよくないことなんだろうけど、彼は若かったし、「若い頃はやんちゃしてたぜ」系にも見えなかったので、ちょっと驚いた。ただシャイなだけだったのかもしれないけど。しかし逆に言えば、こういう経験が印象に残ってしまうくらいヨーロッパでは英語での会話が浸透している。

 ここまで英語が通じると、ついつい「ヨーロッパ大陸の大学院でもよかったかな」と思ってしまう。すべての科目を英語で履修できる専攻もあるそうだし、学費もイギリスやアメリカに比べて割安と聞いている(念入りに調べたわけではなく、経験者の方のブログやら何やらを眺めただけなので実際にはわからないけれど)。

 

チーム仕事

 授業ではチームで課題を提出することがある。1学期は個人作業が多かったけど、2学期は応用・実践的な課題が多くなってきたためかチームで作業することが多い。当然ながらチームメンバーの出身地は多彩だ。スコットランド、中国、インドネシア、クウェート、などなど。日本にいるときは当然(いや世界的に見たら当然では決してないのだけど)チームメンバーは日本人だけだが、ここでは日本人は基本的に僕ひとりだけ。とても新鮮な体験だ。

 ではチームで仕事をするに当たって、日本人だけのチームとグローバルのチームで何か特別な違いがあるかというと、あんまり思いつかない。うまくチームで仕事をする条件は、どちらの場合も大体同じだ。他人の意見を尊重する、かといって何でも他人任せ(他人の言う通り)にはしない、意見を述べる場合は言葉遣いに気をつける、個々人の長所・短所を考えて適材適所の役割分担を心がける、など。

 もちろん実用的な事柄に関していくつか新しい注意は必要かもしれない。たとえば相手の宗教を尊重する(ランチを食べに行くときはハラル対応のレストランにする)とか、遠隔地にチームメンバーがいる場合(オンライン受講の学生も同じチームに割り当てられることがある)は時差に気をつけるとか。

 しかし、そうした一部の対応を除けば、気の使い方はあんまり日本と変わらないなあ、というのが僕の感想だ。課題に対してやる気のある人もいれば、あんまりない人もいる。ガンガン自分の意見を言っちゃうタイプの人もいれば、「言われたことはやるけど意見はあんまりないなあ」というタイプの人もいる。結局グローバル人材だなんだと言っても、人間相手の仕事であればやることは変わらないのかもしれない。

 

年配のウェイター/ウェイトレス

 イギリスで、あるいは欧州大陸のカフェやレストランに行くと、年配のウェイター/ウェイトレスを多く見かける。こうした「前線」に若者を割り当てる日本とは違うポイントのひとつだが、僕はこの文化がけっこう好きだ。ミュンヘンのビアガーデンで1リットルのビールジョッキをひょいひょい運んでたおばちゃんとか(僕より腕ずもうが強そうだった)、ウィーンのレストランでサーブするいかにも「オーストリア紳士」といった感じの年配の男性とか、店の雰囲気とマッチしていて非常によい。

 日本では、若いうちは店頭に立ち、あるいは営業職として取引先を回り、十分に経験を積んだら管理側に回る、というある種の世代間ワークシェアリングが成立している(または古き良き日本では成立していた)ように見える。もちろんどちらがいい/悪いという話ではないのだけど、現代ではそれがちょっと悪い方向に作用して、儒教的/封建的な思想をバックグラウンドとした「お客様は神様です」風潮を助長させたり、現場に過剰な負担を強いたりすることがまかりとおっていると感じることがある。

 安定したサービスの質、という点から見るとおそらく日本に軍配が上がるんだろう。実際、こちらではとんでもない「サービス」をする労働者もよくいる。旅行先で入ったスーパーマーケットに、お釣りやスキャンした商品を文字通り投げつけて寄越すおばちゃんがいた(僕の前にいた人にもやっていたから、もうそういう性格なんだと思う)。ここまで来ると苦笑するしかないし、腹が立つこともあるけど、これはこれで文化の違いが現れていて面白い。

 

日本人ひとりで不便なこと

 前回記事の続き。周囲に日本人がいないと色々と気楽なところがある一方で、不便に感じることもある。

 最も大きいのは、授業や日常生活で起こる言語的な苦労を助け合うことができないこと。たとえば学期始めの授業で「この授業では水曜10時から技術的なチュートリアルがあるからそちらにも参加してね」とかさらっと言われたりしたときに、英語のネイティブスピーカーたちはもちろんばっちり把握していて、中国人学生たちも独自のネットワークで(たぶんWeChatか何かで)情報共有して、僕だけヘマをやらかしてしまったようなことが何度かある。それ以外にも宿舎生活での細かいルールとか、何かの説明書きの趣旨がよくわからないときとか、母国語で誰かに相談できないのは不便。

 こういう苦労に遭遇すると「中国の学生は仲間がたくさんいていいなあ」と思ってしまうけど、きっと彼らには彼らなりの悩みとか不便があるんだろうと想像する。これはさすがに失礼だから未だに聞けていないけど、これだけ中国人が多いと出身地とか両親の社会階層とかで日本的マウンティングが起こっていても不思議ではない。

 本題に戻って、もうひとつ不便な点を挙げるとすれば、日本人ひとりだと日本恋しさが募るかもしれない。僕の場合は奥さんとふだん日本語で話しているし、いざとなればネットで日本のニュースやらアニメの話題に触れることができる(電子書籍でマンガだって買えちゃう)ので困ってはいないけど、周りに日本人がひとりいるのといないのとではけっこう違うだろうなと思う。

 

日本人ひとりでよかったこと

 僕の専攻には80名くらい学生がいるけど、日本人は僕1人だ。他専攻の学生も聴講する授業もいくつか受けてきたけど、日本人に会ったことはない。

 渡英前は、海外滞在経験がほとんどなかったこともあり、「日本人が少ない/1人の場所でやっていけるんだろうか」と少し心配だったけど、慣れてみると意外と気楽である。

 まず第一に他人と自分を比べることがなくなる。僕は「わかっちゃいるけど他人の目が気になる」タイプで、ついつい優れた同級生とか同期入社の同僚と自分を比べて落ち込んでしまう。きっとこちらでも、日本人留学生が身近にいて、僕より社交的で僕より英語がうまくて僕より成績がよかったりしたら、嫉妬で頭がいっぱいになっていただろう。出身大学とか、年収とか、社会的なポジションを気にせずに個人対個人の関係で話せるというのは、僕には非常に居心地がよい。たぶんこれと正反対の気質を持っているのが村上春樹のエッセイ『やがて哀しき外国語』に出てきた「共通一次男」(出会い頭に「僕の共通一次試験の点数はね…」「僕は◯◯省で課長補佐をしていてね…」などとマウンティングしてくる男性)なんだろう。

 それから、細かく気を使う必要があまりないのも気楽。まずもって僕の英語はきわめて拙いので、あてこすりやら嫌味やら皮肉なんて使えない(言えないし理解できない)。したがって、些細な言い回しに気を遣うことも少ない。というか喋っているときは正しい文法やら単語を選ぶことに手一杯でそんな余裕がない。また、相手の言動にちょっと「?」と思うことがあっても「まあ外国だしな」で済ませてしまうことができる(そもそも論を言えば、本当は日本でも「まあ他人だしな」で済ませてしまえばいいのだけど)。

 ちょっと長くなってしまったので続きは次回に書きます。 

得意なことで勝負する/苦手なことにチャレンジする

 ぜいたくな悩みといえばそうなんだけど、「得意なことで勝負する」と「苦手なことにチャレンジする」のバランス取りが難しい。

 原因は2学期に受講しているウェブデザインの授業。データベースに接続して何やかやするウェブサイトを3名1組で作りなさい、という課題。周囲はほとんどデザイナー出身=コードを書くのは初めてというケースが多いので、データベースやらPHPやらjQueryやらに四苦八苦している。

 僕は幸いなことに仕事でこれらの技術をかじった経験があるので、プログラム面では困らないが、チームメイトはデザイン経験しかないので「これでプログラムを書かずに済むぜ」と喜んでいる。頼りにされるのはよいことなんだけど、そもそも僕はデザインを学ぶためにここにいる。デザイナー/エンジニアと別れてウェブサイトを作ったら、日本でやっていたことの繰り返しになってしまう。かといって完全にコードとデザイン担当を逆転させるのもちょっと可哀想な気がするし、悩みどころ。

 しかし考えてみれば、同じようなパラドックスは大学だけではなくて会社でも起こりうる。僕の会社は技術ドリブンの会社ではまったくなく、僕もコードを本業?の片手間に勉強してどうにか覚えた。やはりIT技術があると仕事の自由度が広がるし、何かを覚えるごとに新しいことにも挑戦したくなってくるのだが、ITができると「ed180くん、この仕事ちょっとITで何とかしてくれないかな」なんて仕事が降ってきたりする。そういう頼みを真面目に聞いていると「便利なIT屋さん」になってしまい、自分の仕事ができない。

 現在進行形で悩み中である。