アラサー社会人のイギリス大学院留学

エディンバラ大学の修士課程で四苦八苦しながら勉強しています。

エディンバラのカラオケ

 先日、同級生たちとGeorge StreetにあるSupercubeというカラオケ店に行った。エディンバラに来てからは初めてだ。エディンバラに在住している人のブログなどを見る限り、ここがたぶんエディンバラでいちばん有名な?カラオケ店なんじゃないかと思う。

 ありがたいことに、このカラオケは部屋ごとに料金が決まっているので、何人で歌っても合計料金が変わらない。日本だと人単位で料金を取るので、大人数で行くとあんまり歌えない割に料金が変わらない、みたいなことがある。今回は10人用の部屋に11人くらいで入り、なおかつ学割やらオフピーク割引やらを使ったので、3時間で1人3ポンドくらいだった。安い。日本で1人カラオケが流行るのは、国民性の違いというのもあるだろうけど、料金体系の有利不利に依拠する部分もあるのかもしれない。ドリンクも、たとえば缶ジュースだったら1.5ポンドくらいなので、まあそんなに高くはない。

 ただし、歌のカバー率にはやや難があるかもしれない。まあせっかくだから洋楽を歌おうかな、と思ってThe OffspringとかRed Hot Chilli Peppersとかを検索してみたのだけど、それぞれ10曲くらいしか入っていない。日本のカラオケで洋楽を検索した方が明らかにたくさんヒットする。それから、日本語の曲は検索できないので一覧の載った本から探すのだけど(本から探すなんて懐かしい)、曲の並びがおそらくASCIIコード順になっているので探しにくいことこの上ない。きっと読み仮名なんて概念はイギリスのカラオケ店向けシステムにはないだろうから、まあ仕方がない。そんなわけで僕は歌いながら多言語対応の難しさ(きっと日本における読み仮名みたいに、他の言語でも特殊な仕様があったりするんだろう)について思いを馳せていた。

 

ポットヌードル

 前に書いたサラダに続いて食べ物ネタ第2弾。日本でいうカップ麺。ポットからお湯を注げば食べられるからポットヌードル。味はいくつかあって、アパートの近くにあるTESCOには3種類しかないけど、公式サイトを見ると13種類もあるらしい。棚の減り具合から判断して、いちばん人気は緑色のチキン&マッシュルームフレーバーのようだ。

 日本のカップ麺とは違った味で、最初は奇妙に感じたのだけど、どういうわけかだんだんハマってしまって定期的に食べている。

 味はなんだかボソボソしている。いや食感もボソボソしている。なんというか、まるで一日中はっきりしない曇り空が広がるイギリスの天気みたいだ。それに比べて日本のカップ麺は精細な味というか、くっきりはっきりしている。晴れるときは晴れ、雨が降るときは一日中降っているようなイメージ。インクジェットプリンタでいうと染料インクと顔料インクみたいな違いがある。もしかしたら化学調味料の含有量が違ったりするんだろうか? 何がこの違いをもたらしているかはわからないけど、ボソボソ/くっきりという違いは他のイギリス・日本料理にもあてはまる気がする。

 ちなみにエディンバラで手に入るメジャーなカップ麺にはもうひとつKABUTOヌードルという商品がある。日本テイストを打ち出している分、こちらの方が日本のカップ麺に近い。が、へたに似ていると逆に差異を意識してしまうせいもあって(料理における「不気味の谷」現象といえるかもしれない)、「日本のカップ麺が食べたい」という欲求は満たされない。僕の場合はもう別物と割り切ってポットヌードルを食べることが多い。

 

広告記事のタイトルに「PR」を入れるかどうか問題

yoppymodel.hatenablog.com

 

 興味深い問題だったので、僕も少し考えてみた。

 まず個人的な嗜好としては、広告記事のタイトルには「PR」の文字が入っている方がうれしい。もっとも大きな理由は、リンク先の「優良誤認」の話と同じで、自分自身に「よい記事」を見分ける能力がないと思っているから。どちらかといえば僕は騙されやすい性格で、CMや映画に出てくる商品なりライフスタイルにすぐ影響されてしまう。「よい記事であれば広告かどうかに関係なく読者に有益だ」と主張する人もいるけど、僕自身は知らず知らずのうちに影響されちゃうのが怖いので広告かどうかは事前にわかった方が便利。

 さて、ここからはルール作りの話。一連の議論の中で「『広告であることがわかった方がよい』という意見に応じて広告記事のタイトルに『PR』と表記するルールにすると、『暴言』『政治の話』などなど際限なく配慮をしなければいけなくなってしまう」という意見もわかる。ただ、僕は配慮する/しないを単に人数の多寡で決めてしまうのもアリだと思っている。この場合でいうと「多数の人が『PR』という表記をタイトルに入れてほしいと思っているから『PR』の表記は義務とする、ただし『××』の表記を入れてほしいという要望は一部の人から出ているだけなので義務としない」という分け方。どうやって多寡を判断するのか、「多数」とはどの程度を指すのか、といった実務的な論点はもちろん慎重に設計される必要があるけど、制度設計として「程度問題」に対して数を基準としたルール作りを行ってもいいんじゃないか、というのが僕の意見。現実にも、たとえば所得に応じた福祉制度のように、程度問題に対して仮の基準というか取り急ぎの基準を設けて運用している例はある。

 

サラダ

 前にも書いたかもしれないけど、イギリスのスーパーマーケットで売っている食材は普通に(日本と遜色ないくらいに)おいしい。魚はサーモンとタラくらいしかないけど、欧州大陸から安い関税で輸入されてくる食べ物(チーズとか)は日本よりずっと種類が多いし安い。イギリスの調理人には申し訳ないけど、イギリスの料理は手を加えるほど「?」になる気がする。

 というわけで最近は手軽に野菜を摂る手段としてサラダをよく作る。本当に簡単なもので、レタスを切ってトマトと一緒に洗い、アボカドを切って入れるだけ。それから食べる直前にチーズを削る。TESCOで買ったパルメザンチーズをPoundsaversで買った£1.5くらいのチーズ削り器で削るだけなのだけど、なんというかチーズを削るという行為が欧風でよい。

 ドレッシングはマークス&スペンサーのクラシックシーザーかクラシックフレンチがおすすめ。TESCOより少しだけ高いけど、その分おいしい。

 1人暮らしやパーティ&パブ続きで野菜が不足している人におすすめです。

 

コミュ力の半分はメンタル

 英語力の半分はコミュ力だと前に書いたけど、そのコミュ力のまた半分くらいはメンタルの強さに左右されるという話。

 僕はいわゆる「豆腐メンタル」で、とにかく打たれ弱い。誰か(友人とか同僚とか通りすがりとか)に文句を言われようものなら軽く1週間くらいは引きずるし、嫌なことがあると際限なく思い出してしまって生産性に大きく影響する。

 一方で僕の留学生仲間には、英語力とか色んなものをメンタルの強さで補っている例が見受けられる。典型的な例が中国出身のL君(以前ブログに書いた、英語名デビューに失敗した彼)。彼の英語力はお世辞にも高いとは言えないし、コミュニケーションが巧みなわけでもない。一言でいうと「残念な感じ」の男子なのだが、とにかくメンタルが強い。たとえばカフェに行ったとき、僕はとりあえず注文でまごつくのが嫌なのですぐ見えるものを適当に注文してしまったりするのだが、彼はお構いなしに「これはいくらか」とか「あそこに見えているあれの名前は何か」とか自分が理解できるまで聞く。後ろから見ていると「あ、店員さんイラついてんな」とわかっちゃってハラハラする(いや、もちろん納得するまで聞くのが基本ではあるのだけど)。また1人で海を見に行ったりとか、サブウェイみたいなけっこうコミュニケーションが必要なタイプのお店にもガンガン行っちゃう。人と話すのが億劫でセルフレジのある店を選んでしまう僕みたいなタイプの人間からすると、まさに鋼鉄のメンタルである。

 ネイティブスピーカーと話すときも、僕は必死で彼らの会話スピードについていこうとしたりして疲れるのだけど、彼はいたってマイペースに「今のよく聞き取れなかった。もう一回言ってくれない?」「何の話をしているの?」とかガシガシ聞いちゃう。当事者からどう見えるのかはわからないけど、少なくとも端から見ると問題なく会話が成立しているように見える。何ならネイティブ同士が会話しているハイスピードな英語会話にも躊躇せず割り込んで行ってしまう。僕が真似しようと思っても一朝一夕にできるものではない。

 

留学支援会社の使いどころ

 どこで・どこまで留学支援会社(留学エージェントとか、エッセイ添削業者とか)を使うかは悩ましい選択だと思う。Q&Aサイトなんかを見ると「出願準備くらい独力で出来ないのであれば留学しても無駄」みたいな勇ましい意見も見受けられるけれど、以前に留学経験がない&気軽に相談できる留学経験者が周囲にいない場合は、何らかの形で支援会社を使った方が楽なんじゃないかと僕は思っている。

 最初に僕の経験を話しておくと、いくつかのエージェントに話を聞いた後、進学先のリサーチや書類(履歴書やエッセイなど)の添削などをしてくれる大学院留学専門の支援会社に申し込んだ。どこかの大学と契約してエージェントをする会社ではないので、給料1ヶ月分くらいの金額がかかったけれど、結果的には申し込んで非常によかったと思っている。

 まず助かったのは各種書類の添削。特にエッセイは何を書けばいいのかまったくわからない状態だったので、基礎から説明してもらえたのはとても有益だった。それから進学先のリサーチ。基本的には大学のウェブサイトに書いてある情報から比較検討をするわけだけど、大学院のページにはそこの文法というか、暗黙的なルールのようなものがあって、それなりのコツがいる。またフルタイムで仕事をしているので、無尽蔵に大学を調べるわけにもいかない。膨大な数の大学からショートリストを作るだけでも助かった。

 進学先選びを任せてしまうのが不安(他にもいい大学があるかもしれない)という人は、自分でも大学選びを行なって、先方の提案と「答え合わせ」をしてみるのがよいと思う。まずは専門家の「答え」を聞いて、コツを覚えてからは自分でもやってみるという方法です。僕の場合は先方の対応できる進学先数(エッセイの添削などをしてくれる学校数)に限りがあったので、それ以上は自分で学校を検索して自分でエッセイを書いた。実を言うとエディンバラ大学も「それ以上」に入っているので、厳密には彼らのサポートで入学したわけではない。ただ大学選びやエッセイの書き方は彼らに教わったようなものなので、最初のサポートがなければ入学することはできなかっただろう。

 ちなみに出願手続き自体は自分で行なった。また、IELTSの勉強は書類の作成を始める前に済ませていたので、そちらも特に支援会社の手を借りることはなかった。

 

 

英語力の半分はコミュ力

 日本にいるときからスカイプ英会話で練習したり、単語を覚えたり、リスニングしたりとひととおり勉強はしたけれど、英語で会話するためにはコミュ力も必要なんだなあと実感することが多い。考えてみれば当たり前の話で、日本語ができるからといって日本で完璧にどんな人とでもコミュニケーションができるわけではない。

 僕はもともとあまりコミュニケーションが得意な方ではないので、英語力もさることながらコミュニケーション力のなさで苦労することも多い。感覚的には、普段の会話において言語が占める割合はせいぜい半分くらいだと思う。以前に書いた雑談の記事も、きっと日本でコミュ力が高い人なら自然と何とかなっちゃうのではないか。

 これとは逆に、英語力をコミュニケーション力で補うこともおそらく可能だ。典型的な例がうちの奥さん。彼女は重点的に英語を勉強したわけではないけど、僕よりずっとコミュ力が高いので、相手の表情や身振り手振りで何を話しているかだいたいわかっちゃうらしい。僕からしたらエスパーなんだけど。その代わりに奥さんはスピーキングは苦手なので、2人で行動しているときは奥さんが相手の言うことを聞いて僕に「通訳」し、僕が答えることもある。

 正直なことを言うと、僕はイギリスに来て初めて自分のコミュニケーション能力に問題があることに気づいた。日本にいるときも色んな面でその兆候はあったのだが、母国語としての日本語力でなまじ何とかなってしまっていたので気づかなかったのだ。これもある意味で「自分探し」なのかもしれない。