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アラサー社会人のイギリス大学院留学

エディンバラ大学の修士課程で四苦八苦しながら勉強しています。

英語力の半分はコミュ力

 日本にいるときからスカイプ英会話で練習したり、単語を覚えたり、リスニングしたりとひととおり勉強はしたけれど、英語で会話するためにはコミュ力も必要なんだなあと実感することが多い。考えてみれば当たり前の話で、日本語ができるからといって日本で完璧にどんな人とでもコミュニケーションができるわけではない。

 僕はもともとあまりコミュニケーションが得意な方ではないので、英語力もさることながらコミュニケーション力のなさで苦労することも多い。感覚的には、普段の会話において言語が占める割合はせいぜい半分くらいだと思う。以前に書いた雑談の記事も、きっと日本でコミュ力が高い人なら自然と何とかなっちゃうのではないか。

 これとは逆に、英語力をコミュニケーション力で補うこともおそらく可能だ。典型的な例がうちの奥さん。彼女は重点的に英語を勉強したわけではないけど、僕よりずっとコミュ力が高いので、相手の表情や身振り手振りで何を話しているかだいたいわかっちゃうらしい。僕からしたらエスパーなんだけど。その代わりに奥さんはスピーキングは苦手なので、2人で行動しているときは奥さんが相手の言うことを聞いて僕に「通訳」し、僕が答えることもある。

 正直なことを言うと、僕はイギリスに来て初めて自分のコミュニケーション能力に問題があることに気づいた。日本にいるときも色んな面でその兆候はあったのだが、母国語としての日本語力でなまじ何とかなってしまっていたので気づかなかったのだ。これもある意味で「自分探し」なのかもしれない。

 

 

日本よりイギリスの方が厳密だと思うところ

 総論として、日本からイギリスに来た人は「イギリスは日本よりも大雑把だ」と考えるんじゃないかと思う。スーパーマーケットのレジ打ちはぽいぽいっと適当に袋詰めしちゃうし(前にも書いたかもしれないけど、レジ打ち経験のない平均的な日本人の方がずっとイギリスのレジ打ち係よりも袋詰めがうまいと思う)、ゴミ捨てのルールは大雑把だし(僕の住む地域では、分別はガラスとそれ以外。何度か一般ゴミに捨てていいものか迷うケースがあったので現地に住む知り合いに聞いたのだけど、答えは大抵「よくわからないけど一般ゴミでいいんじゃない?」)。

 一方で、日本よりもイギリスの方がきっちりしているというか、几帳面だなと感じることもいくつかあった。ひとつは公平性に関する意識。人種や出身、教授との個人的な関係によって採点が左右されることのないように、論述式の試験では「誰が書いたか」が採点者にもわからないようになっている。具体的には、論述試験を受ける学生は試験番号(Exam number)と呼ばれる試験でしか使わないIDを用紙に記入する。学生番号や名前などは書かないか、あるいは書いた上から糊付けして外から見えないようにする。おそらく試験番号はランダムに割り当てられていて(=番号から学年や専攻の区別ができず)、試験番号と普段使う学生番号を一致させることができるのは特別な部署だけなんじゃないかと思う。ちなみに採点者の裁量が入る余地のないマークシート試験では普通に学生番号や名前を答案用紙に書いた。

 また、授業では概して日本の大学よりもシラバスや成績のつけ方、試験での採点基準といった説明が充実しているように思う。アルコールを買うときのルール(25歳以下に見えたら必ず身分証を見せなきゃいけない、また22時以降は小売店でアルコール飲料を買うことができない)も日本のコンビニに比べると厳しい。

 ある社会において厳密に運用されているルールは、見方を変えれば「その社会で重要だと考えられているもの」に通じると個人的には思っている。こういうところからも文化の違いが垣間見えて面白い。

 

英語を勉強するための英語力

 

 英語を学習する際、あるいは最終的に英語圏の国に留学/在住/就職したい場合、「どの程度日本で英語を学習しておくべきか」は悩ましい問題だと思う。主に「英語を勉強するならとにかく早く海外に出るべき」「まずは日本でしっかり勉強してから」という2つの派閥があるようで(なかには「英語を勉強するなら日本でも十分。海外に出る必要はない」という意見もあるみたいだけど)、どちらにも説得力があるように思える。

 僕がなんとなく考える目安は「英語で行われる各種の説明が(なんとなく)わかるようになってから行くのがよいのではないか」ということ。たとえば現地の語学学校や大学に通う場合、講師や係員から授業の仕組み、成績評価の方法、あるいはアパートの鍵の扱い方など多岐にわたる説明が行われるだろうけど、そもそもこれらの説明が理解できないと勉強のための準備が整わない。インターネットのミームでいうところの「服を買いに行く服がない」というやつだ。

 例を挙げると、僕は10年ほど前にカナダへ語学留学に行ったことがある。しかしそれが初めての海外経験であり、なおかつろくに予習しないで渡航してしまったため、初期説明がまったく理解できずにすごく苦労した。寮の鍵がオートロックになっていることを知らずに何度も締め出されたし(さすがに3回目くらいで仕組みを理解した)、洗濯機の使い方すらわからなかったくらいだ。もちろんこうした苦労も勉強のうちといえるかもしれないけど、経験している最中はたまったもんじゃないし、どうせどこか別の場所で苦労するのだから「防げる苦労」は防いでしまいたい。

 一方で「チュートリアルを理解する」というのは意外に難しい。そもそも色んなシステムが日本とイギリス(あるいは他の英語圏の国々)で違うし、説明書や授業のシラバスといった説明書類は一般的に防衛的な文章になりがちだと思う(日本語でも定款やら利用規約やらは読むのが面倒ですよね)。白状すると僕は未だにチュートリアルが理解できなくてまごつくことがある。僕は大学院生としてイギリスに来ているけれど、正直に言って得意分野の専門書を読む方がずっと楽だ。

 多くの日本人にとって、口頭での説明の方が文書の説明より難関だろう。まずはリスニング力を鍛えて、それから英語でも日本語でもよいので渡航予定の国と日本との違いを予習しておくとよいと思う。

 

 

「死んだ英語」でもいい

 日本の英語教材に、ときどき「ネイティブの生きた英語を学ぼう」という趣旨のブログ記事や参考書がある。この場合「生きた英語」とは現代に生きる英語のネイティブスピーカーが日常生活で使う単語や表現を意味する。

 もちろんこうした表現はコミュニケーションにおいて重要だし、その表現をきっかけに他人と打ち解けられる場合もあるだろう。しかしながら、「生きた英語」は概して用法が難しい。場合によっては皮肉やちょっと刺激的なニュアンスが含まれていることもあるし、何よりカジュアルな表現であるケースが多いのでTPOをわきまえた使い方をしなければならない。また、僕のような非ネイティブスピーカー相手には通じない可能性も考慮する必要がある。ネイティブスピーカーであっても、世代や住んでいる場所によっては通じないこともあるだろう。

 その点「死んだ英語」、典型的には英語の教科書や英字新聞に載っているような表現は、退屈で無味乾燥かもしれないけど、高確率であらゆる出身・あらゆる世代に通用するだろう。礼儀正しい表現だけ覚えれば、TPOによる使い分けもさほど意識せずにすむ。

 というわけで僕は、いまイギリスに滞在していて「生きた英語」を見聞きすることもできるけど、その時間は出来るだけ「死んだ英語」(よりフォーマルな英語)の習得にあてるようにしている。たとえばバーで出会った女の子に小粋な口説き文句でお近づきになる、ということは出来ないけど(日本でも出来ない)、幅広い世代・バックグラウンドの人たちと過不足なく意思疎通ができる方が日本に帰ってからも便利なんじゃないかと思っている。

 

セルフレジ

 イギリスでデビットカードに並んで便利だなあと思うものはセルフレジだ。そこそこの広さのスーパーマーケット、特にTESCOとかSainsbury'sみたいなチェーン店に設置されていることが多い。

 セルフレジの何がよいって、小銭が余って仕方がないときや、逆に10・20ポンド札をくずしたいときなどに利用できるところだ。日本では出来るだけ小銭は最小限に抑える(50円玉2枚は持たない、とか)ようにしているけど、イギリスだと20ペンスとか(日本人から見て)半端な硬貨があったりして、ついつい小銭がたまりがちになる。またスーパーマーケットでもカフェでも、有人レジで20ポンド以上の大きなお札を出すと露骨に嫌な顔をされる。こういうときにセルフレジに行くと、自分のペースで小銭を調整できるので非常にありがたい。といってもデビットカードを手に入れてからはほとんどカードで会計しているのだけど。

 たまに有人レジに行くと思うのは、イギリス人の袋詰めスキルがきわめて低いこと。日本のスーパーマーケットのおばちゃんたちの芸術的な手さばきと比べるのはさすがにかわいそうだけど、それにしたっていくらなんでももう少し考えて入れてくれよと思うことがなきにしもあらず。「ああこの人は本当に適当な順に袋に入れているんだな」とあきらめの境地に至ることが多い。大抵のイギリス的レジ係よりも一般的な日本人の方が袋詰めスキルは高いと思う。

 

エディンバラ新生活に便利な生活雑貨店

 エディンバラで新生活を始める際に僕がよく買い物していた生活雑貨の店です。といっても、僕もエディンバラ生活1年生なので、他によいお店があったら教えてください。

 

 Poundsavers:Nicolson Streetにある。中東系のおっちゃんたち(顔はむっつりしてて怖いけど聞くと色々教えてくれる)が店番をしている。値段は非常に安い。安すぎてちょっと調理器具とか食器を買うのには躊躇するくらい(いくつか買ったけど)。気にする人は、日本の百均くらいの感覚であまりデリケートでないものを買うのがよいと思う。僕は収納グッズや電気ポット、洗濯カゴなどを買った。

 

 Lakeland:Hanover Streetにある。キッチン用品がメインかな? 雑貨がどれもかわいらしくて好き。が、親しみやすそうな雰囲気とは裏腹?に意外と値段は張る印象(たぶんJohn Lewisの中上位価格帯くらい)。「まあ1年しかいないから安いのでいいかな…」と思って買わなかった商品がいくつかある。2年以上エディンバラに滞在する人はここかJohn Lewisで揃えるといいんじゃないかと思う。食器の乾燥棚や水道のキャップ(浄水とかではなくて、単に蛇口をシャワーにするもの)などを買った。

 

 John Lewis:Leith Streetにある。割と大きい店なので大体なんでもそろう。カーテン、バス用品、寝具、オーディオ、包丁などなど幅広い。価格帯もわりかし手頃なものから高級品まで揃っている。ここでは鍋、まな板、水筒などを買った。

 

 イギリスでは家具付きのアパートが多いので、引っ越し後に家具や家電を買う必要はない。これはとてもありがたい。僕の場合、食器とか調理器具とか収納グッズとかハンガーとかを買って、全部で200ポンドくらいだったと思う。

 

エディンバラと人種差別

 エディンバラに来るまでは「アジア人だからという理由で差別されるんじゃないか」と漠然と心配していた。何か根拠があったわけではなく、ただ単に長いこと外国に滞在するのが初めてだったので不安が膨らんでいたのだ。

 こちらに来てから数ヶ月経つけど、実際に差別的な扱いを受けることはまずない。ほとんどの人は快く接してくれるし、あからさまに対応が変わったりすることも経験したことがない。たまに売店とかレストランでカッチーンと来る対応をされたりすることもあるけど、よくよく観察していると、大抵の場合そういう人は誰に対しても同じような対応をしている(ちょっと信じがたいことだけど、誰に対してもお釣りを投げてよこすスーパーのレジ係とかたまにいる)。

 もちろん人種差別主義的な御仁はどこにでもいる(日本にも山ほどいる)し、街ですれ違った人もひょっとしたら「このアジア人め」とか思っているかもしれない。ただそれを公衆の面前であらわにされることはないし、僕も「そういう人たち」のいそうな場所には出向かないようにしているので、今までトラブルに出くわしたことはない。

 ただ、自分が差別を「受けるかもしれない」側に立って初めて感じたのだけど、「いま自分は差別を受けている」と明確に断定することは非常に難しい。先ほども書いたように、僕に対して態度の悪い人はただ単にそういう性格なのかもしれないし、あるいは僕の他の部分(心当たりはたくさんある)が気に入らなかったのかもしれない。それは言い換えると、差別的な対応をした人物が「違うよ、これは差別ではないよ。お前の態度が気に入らなかったんだよ」と言い逃れすることが非常にたやすいということを意味する。特にマイノリティとして慣れない外国で暮らしている場合、この見えない不安感はけっこう堪えると思う。

 同じことは人種差別だけではなく、他の差別についても言える。たとえば男女差別。「個人の能力に基づいて評価している」としながら経営幹部になれるのは男性だけ、という守旧的な会社は山ほどある。そして、たとえば能力のある女性が昇進できない場合、それが性別のせいであると「立証」することは極めて難しい。昇進に必要とされる能力的水準を「誰が見ても明らかに」超えている必要があるからだ。

 話を戻す。僕は日本人で、日本以外の国籍は持っておらず、男性で、関東出身、特に身体・精神的な障害もない、四年生大学を卒業した、つまりマジョリティである。日本にいると意識しない「差別されるかもしれない不安」は、もちろん意識しないで済むならそれに越したことはないんだけど、貴重な教訓になる。

(追記:読み返したらなんだか結論部分がねじれていたので書き直した)